何か面白いことないかな~と今日もただお散歩のように人生歩いてるだけの私の独り言。


by tekuteku0220
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ちりとてちんの草若師匠

どうも書き出すとまとまりがなくていけないのですが。

私の父は亡くなって、今年の秋が来れば16年になります。
病気がわかった時には既に1ヶ月もたないと言われ、
結局入院して半月ほどで突然旅立ってしまいました。
という話は何度か書いてきましたが、
少し前、父のたった一人の妹である叔母と話していた時に、叔母が
「あんたのお父さんはしっかりした人だったから、自分が死ぬとわかったら
何かあんたやお母さんに言いたいこともあっただろうにね」
って言ったんですね。

風邪をこじらせたのかと受診したら実は当時まだ全国で十数例目という病気で
入院した途端にどんどん悪くなってしまって
とにかく免疫が落ちているので、病室に入るときは私たちもキャップをかぶって
マスクして、手も消毒してからということで、
当然本人は病室から出られませんでした。
別の病名が告げられ、本人は最後までまさか自分が死にいたる病気だなんて思いもしなかったと思います。
別れの朝、実家からの連絡でかけつけた私たちに
「みんな来てくれたのか。仕事に遅れんように行ってくれよ」
意識もしっかりして月曜の朝だということもちゃんと承知していてそう言いました。
1時間もしないうちにどんどん高熱と呼吸困難でとても苦しそうになって、
「看護婦さん、なんとかしてくれるって言ったか?」
「うん、今、熱の下がる点滴を入れてくれたから、すぐに楽になるから」
「そうか」
それが最期の私との会話。
ほんとにすぐに、楽になってしまいました。

突然区切られ残された時間の量と、輸血だけで命をつなげている状況から
やはり本人に知らせなくて良かったのだとずっと思ってきました。
家に帰るどころか病室から出ることもできない体では
知ったところで何もできない、乱れた気持ちのままで逝くことになっただろうから、と。
でも、
意識は最期までしっかりしていたんですよね。
叔母の言うとおり、言い残すことは、そりゃあ、いろいろあっただろうな。
弟子たちにありがとうと言うことのできた草若師匠を見ていると
父の終わりは父のものにしてあげなければいけなかったのではないのかという気持ちが
どうしてもわいてくるのでした。
自分だったらどうだろうと思ってみて、
やはり言うべき人にお礼を言って、
詫びたい人には謝って逝くことができたら
そこで自分の人生と死とを受け入れることができるのかもしれないなと思うものな・・・。
お父さん、
ごめんなさいね。
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by tekuteku0220 | 2008-02-16 01:46 | ちょっと感動