何か面白いことないかな~と今日もただお散歩のように人生歩いてるだけの私の独り言。


by tekuteku0220
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K先輩のこと   -3-

それから3年後、私は突然ニュースで先輩の名前を聞いた。
すべての記憶があやふやな私が、なぜこうさらっと3年後と断定できるかというと
それはやはりちょっと衝撃だったので、
そのニュースを耳にした状況だけは記憶にあるからだ。

私はその時、役場のおねえさんだった。
普通科を出て公務員と母に洗脳されたまま、初志貫徹したわけではない。
実際、3年生のとき受けた愛知県の採用試験は
なんの勉強もしてなかったためあっさり失敗。
背伸びして受けた某今でも超有名企業も、
書き出せばまわりくどい言い訳やら思い出やらあるのだけれど、
二次面接まで進んだものの失敗してしまった。
それで二次募集という極端に狭まった選択肢の中から選んだ会社では、
結局やりがいも目標もみつけられそうもなくて、半年で辞めた。

ちょうど産休代替を探していた母校の小学校の学校事務の仕事を3ヶ月半して、
その間に受けた地元の役場に採用されて、
電話交換を主に、住民課の仕事の手伝いをするという
採用1年目の女の子(は、小さな役場なので毎年1人)のポジションにいた。
その部屋で耳にした懐かしい先輩の名前に
どきっとした自分の姿を、
その時のくすんだ水色の(若い子が我慢すればおばさん職員には違和感のない)
事務服とともに思い出す。
2年目からは水道課に配属されたが、その水道課は離れにあって
外部の人は物置きと思って素通りしてしまうという部屋だった。
その部屋じゃなかったことだけはたしかなので、役場1年目と断定できるのだ。

町には農協が運営する有線放送というのがあって、
お昼になると勝手にNHKのニュースが流れ出す。
(日曜昼などはのど自慢まで流してくれるというおせっかいぶりだった)
ちなみに朝も6時に流れてくる。
うるさいよと思う家はボリュームをしぼっておけばいいのだけれど、
そうするとそのあと放送される農協とか役場からのお知らせも聞こえないので、
豚(トン)コレラの予防接種の日程だとか、イネミズゾウムシがどうしただとか、
専業はもちろん兼業農家も聞いてないよじゃ済まされない。
(ことはないか、多分回覧板とかでも廻っいるんだろうけど)
もっと聞き逃しては困るのは、「悲しいお知らせ」だ。
「どこどこ(いわゆる隣保班の名前)おとりもちから悲しいお知らせです」
と聞こえたら、耳をそばだてなくてはいけない。
どこの誰が亡くなって、お通夜や告別式がいつどこで行われるかのお知らせなので、
これを聞き逃して義理を欠くようなことがあっては、田舎では暮らせないのだ。

いけない。K先輩のこと・・・って、いつ先輩が出てくるんだ。
そう、
ある日の昼休みに流れていたニュースで
たしか4人くらい、大学検定を受けて大学を受験して合格したというのがあって、
その中に先輩の名前もあったのだった。
大検の歴史をまったく知らないのだけれど、
ニュースで取り上げるくらいだから、当時はまだ珍しかったんだと思う。
翌朝の新聞にも載っていた。間違いない、先輩だった。
凄いと思った。嬉しかったし懐かしかった。
私は手紙を書いた。
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by tekuteku0220 | 2006-11-23 02:09 | ちょっと感動

K先輩のこと   -2-

某お笑い芸人がスケバンネタで今年ヒットしたけれど、
今時あんな長いスカートの子、見たことないのと同じくらい、
今の女子高生が公衆電話から好きな男子の家に電話して告白するのを
半開きのボックスのドアのところで押し合いへし合いで
友達2~3人が応援してる、なんていう図を見ることはなくなった。
1年の夏、テスト勉強と称して、友達の家に仲の良い数人で集まり
泊まることにした夜、近くの公園の脇にある電話ボックスで、
私は友人たちの「ほら、頑張れ」というまなざしに囲まれて
先輩の家に電話をかけた。
番号はわかっていた。
今のように個人個人が携帯で繋がる便利さはない時代だったけれど
個人情報を悪用する人間も少ない時代だった。
学校からは毎年、出身中学別学年順に分類された全生徒の名簿が
きちんと製本されて配布された。
そこには名前、住所、電話番号はもちろん、
保護者の氏名や職業、勤務先まで明記されていた。
今では考えられないことだと思うと、
改めてあれは30年も昔のことだったんだと実感する。
何を話したのかは、もちろん全然記憶にない。
ただ、「実は僕も」とか「お付き合いしましょう」というような展開の
会話はなく、一方的に自分の想いを伝えただけだったように思う。
どんな形で誘われたのかも覚えていないけれど、
1度だけ、当時地元ラジオで深夜放送を担当していたフォーク歌手を
中心に何組かの歌手やバンドの出たジョイントコンサートに
連れていってもらった。
会場から駅までの途中にある橋をぶらぶら歩きながら
結果が戻ってきたばかりの定期テストのことばかり話してたことを
その時の暮れかかった空のように、うっすらと覚えている。
でも、
それ以上は発展しなかった。
何度か手紙をやりとりした。
彼の名前を思い出す時、手紙に書かれていたちょっと四角張った
特徴のある筆跡があわせて浮かんでくる。
何があったわけでもなく
自然に消滅してしまった。
というよりちゃんと始まってもいなかったというとこだろうな。
ほんとにひとごとのように、自分の気持ちの変化すら覚えていない。
恋愛だった気もしないし、失恋した感覚も残っていない。
どうなってたんだろう、逆に興味がわいてきたくらいだ。

2年になって暫くして、先輩と同じ学年にいた私の従姉から
彼が病気で長く休んでいると聞いた。
その時は病弱そうだからなぁくらいに思ったのだが、
彼はその時、ウィルスが脊髄に入って(と噂で聞いたから
本当のところはよくわからない)
歩けない体になってしまい、学校を辞めたのだった。
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by tekuteku0220 | 2006-11-14 01:49 | ちょっと感動

K先輩のこと   -1-

高校時代は帰宅部だった。
だから先輩と呼べる人は殆どいない。
ただ入学直後、同じ中学の友達とちょっと興味を持って覗いた社研部に
2年のKさんがいた。
校舎と校舎の間にひっそりと部室が建ってたけど
きっとほとんどの生徒やひょっとしたら先生の一部も
あそこには竹ぼうきとか小さな一輪車がたててしまってあると思ってたんじゃないかな
っていうくらいの建物。あやしかった。
しかも戸板の節目には、中からこちらへ向けてポスターが貼ってあって
覗こうとすると、目があってしまうのだ。
ちょっと恐い。あやしすぎだった。
高校も隣は春にはレンゲ畑ののどかな環境だったけど
私と友人は隣接する文化的には陸の孤島のような閉鎖的ド田舎の中学出身だった。
はじめはそのあやしさになんだか大人を感じて
仮入部くらいしたんだったか、話だけ聞きに行ったんだったか
おそろしいくらい覚えてないんだけど、
結局入部はしなかった。
だいたい部員はKさんの他に同じ2年のAさんがいただけだった。
同和とか在日とか、そんな関係の本をちょっと読まされたような
記憶がかすかにある(ほんとに曖昧すぎるな)。
重かった・・・んだと思う。
友人から聞いた「就職する時に社研部だったって言うと不利らしいよ」
という言葉を自分への言い訳にした。
一応進学校の普通科に入学したものの
経済的事情で進学はできないから
「卒業したら公務員になるといい」という母の言葉に従う予定だった。
きっとそんなようなことは話して
入部はしないことくらいはちゃんと伝えただろう(いくら私でも)
と思うのだけど、そこもよく覚えていない。最悪だな私。
ただそれとは別に、
K先輩のことは憧れていた。
色が白くてでひょろひょろっと病弱そ~で、
いわゆる学校生活でもてるタイプとは対極といえなくもないが、
物静かな笑顔がとても大人に見えた。

※カテゴリの「ちょっと感動」はどこに出てくるかと言うと
 今日はまだ出てこないですね~。
 先輩を登場させるのに説明長すぎですが
 まあ、ここそんなに読んでる人いないから
 自己満足で思い出にひたるの巻でした。
 その後K先輩とはどうなったかはまた明日のココロなのだ~(小沢昭一風)
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by tekuteku0220 | 2006-11-11 17:40 | ちょっと感動