何か面白いことないかな~と今日もただお散歩のように人生歩いてるだけの私の独り言。


by tekuteku0220
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カテゴリ:ちょっと感動( 17 )

8月の11日が初出勤だったので
気付けばなんとか1ヶ月がたってました。
新しい職場は自分が昨年前半、患者としてさんざん通い、
9日間手術入院した市民病院の中なのです。
もう数ヶ月に1度の検査しか来ないんだな~って思ってたのに、
裏道も教えてもらってしっかり平日毎日通っています。
臨床工学室、通称MEセンターというところです。
入院中、お腹を押さえながら新聞を買いに病棟から売店まで歩いた廊下の途中にあります。
臨床工学士、通称MEさんのいるところ。
臨床工学技士とは「医師の指示のもと、生命維持管理装置の保守管理、運用を行う者」であり、血液浄化、人工呼吸器、循環器業務、各種医療機器管理における業務を行っています。
はい、上3行、どっかの病院のHPからコピペしました~♪♫♬
ということで、手術室やICU、血液浄化センターなど別のところへ出かけていって
お仕事をされることが多いので、
私は電話番とか戻ってきた輸液ポンプとか吸引機なんかの清浄、
各部署から回ってくるいろんな器材等の修理伝票の整理等々をしています。

毎朝カンファレンスがあって、前日の業務の報告とか当日の予定等が
その日のリーダーさんによってホワイトボードに書き込まれていくのですが、
それをエクセルに打ち込んでいくのも私の仕事です。
今日もカンファレンスが終わって打ち込もうとしたら
いつも既に立ち上がってるPCがまだついてなかったんですね。
で、電源を入れて待ってると
なんと
明るくなった画面には
大きな字で
「〇〇(私の苗字)さん いつも詳しい日報の打ち込み ありがとうございます
MEセンター一同」
って出てきたじゃあ~りませんか。
(実は照れくさくてすぐエクセル立ち上げちゃったので、文章微妙に違うかもですが
・・・・って、だめじゃん、せっかくのメッセージなのに)
うわ~~~
誰だろ~~~
MEさんは女性のパートさん一人の他に男性が8人。
多分まだ20代だろうなって人が一人と50代の人が二人と
あとは30~40代って感じです。
実はそんなふうで出払ってることとか多いので
仕事のことでちょっと質問したりする程度であまりまだ個人的なお話とかしたことないのですが
でも全然知識がなくて何にもわからない私の、
多分とんちんかんな質問とかにも、どの方も親切に答えてくださったり、
電話番してても耳が慣れなくて部署名間違えたり、
器械の名前が全然聞き取れなかったり、
ほんとに役に立たない私なのに優しく対応してくださって、
そこへもってきて今朝のこのPCのメッセージですわ、
もうなんかじ~んときちゃいました。
専門用語とか飛び交う中で何もわからずぽか~んとするばかりの場違いっぽい私なのに
なんか認めてもらえたって気がしてめちゃめちゃ嬉しかった今日なのでした。
誰が書いてくれたのか
追求するのも野暮なので
心の中で思い切り感謝するばかりですが。
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by tekuteku0220 | 2008-09-13 01:29 | ちょっと感動

5月27日

平日にもかかわらず、私は姑のおともで親戚のおばさんの49日の法要へ。
長女は小学校からの友達Tちゃんの結婚式へ。

夕方、帰宅した娘と。
私 「お父さんどうだった?」
娘 「すごいテンション高くて、『あんたたちはまだかん?』って聞いてきた~。
そんな泣いたりとかいう感じじゃなかったよ~」
従姉の結婚式で花嫁の父たる叔父さんがぼろ泣きだったのと比べて言ってるのだろう。
娘 「花嫁のブーケもMちゃん(花嫁の妹)がとったら、お父さん『こりゃあ忙しいなぁ』って笑ってた」
そうかそうか。
Tちゃんのお母さんはTちゃんが高校生の時に急病で亡くなっている。
当時から美人三姉妹と評判だった3人のお嬢さんを、以来、男手で育ててこられたお父さん、
心の中では亡くなったお母さんといろんな話をされただろうな。
いわゆるできちゃった婚、
私 「最初から許してくれたの?」
娘によれば、新郎は中学の同級生で、途中別れてたこともあったけど10年近い付き合いで
お父さんも知ってたので、本人たちがどう言い出そうかとしているときに、「認めてるから話があったらおいで」とお父さんのほうから言葉をかけてくれたとのこと。
私 「そんな昔から付き合ってたんだ~。じゃあお母さんもその子に会ったことあるのかな?」
娘 「たぶん会ったことあるんじゃないかな~」
私 「そうかぁ、よかったねぇ」     ちょっともう鼻がつんときて目がうるうる・・・。
娘 「Tちゃんも『お母さんも喜んでくれてると思う』って言ってたよ」
え~ん、もうだめ、涙出るわ、鼻水出るわ・・・。
娘 「なんでお母さんが泣くの~」
もちろんとっても喜んでくれてるし、見てくれてると思うけど、
そこにいてほしかったよね~。

Tちゃんのお母さんはすぐ隣の町内だったし、
うちの子たちが保育園に通う頃、そこで保母さんをされてたし、
妹のMちゃんとうちの次女とも仲良しで、遊びに連れてってもらったことなんかもあって、
だから保母さんとしてばりばり働きながら、町内のママバレーでも活躍してた
元気で明るいイメージの彼女の突然すぎる死はショックだった。
そんなふうで弔問客も大勢で、お通夜のとき
次女とMちゃんが手を取り合い泣いている側に立っていた私は、
制服姿のTちゃんが
「こんなにたくさんの人に来てもらってお母さん喜んでると思う」
と言ってた声を今でも思い出します。


昨年の5月27日はZARD坂井泉水さんが亡くなった日でした。
自分の手術から1ヶ月半、まだまだお腹の傷をかばいつつも、
病気からはほぼ100%解放された思いでいた私だったけど、
坂井さんの訃報には自分でも想像しなかったくらい動揺したっけ。
子宮頸癌は直接の死因ではなかったけれど、
私みたいに早期発見していれば、肺に転移することもなかったろうし
事故とも違うとも言われていたけど転落して亡くなることもなかったろうに・・・。
自分だけ助かってしまったみたいな、説明しにくい凄く苦しい気持ちだった。
そのニュースがあってすぐ、
「大丈夫?同じ病気だからショック受けてるんじゃないかな」
って送ってくれた友達のメールがとてもとても嬉しかったのを覚えてる。
1年たって、私はもう昨年のことが夢だったかのように
のほほ~んと過ごしてる。
来月また検査は予定されているけど、全く不安も感じない。
でも、感謝は忘れちゃいけないな~と、
いつかは見られるだろう娘の(30まで行かないと宣言してるけど)花嫁姿を想像しながら
ちょっと自分を戒めてみた。
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by tekuteku0220 | 2008-05-29 01:45 | ちょっと感動

人力車で日本一周~

b0101719_1554140.jpg
ええっと、写真を撮ったのは14日ですね。
この夜、たぶん台所で水滴かなんかにやられちゃったらしく
携帯が帰らぬ人となってしまったので、なんとこの写真が最後のあの携帯での写真となってしましました。
って、そんな淋しい話題じゃないです。

この方は山田祥平さん、30歳。
5月9日伊勢から、人力車で日本一周に出発されたばかり。
という話題はラジオで聞いてて、その日は私は見なかったのですが、TVなんかでも取り上げられていたいみたいです。
朝10時ごろ、いつもの道をパート先の会社へ向かって車を走らせていると
え~、人力車~!?
で、ちょっと行ったとこで向きをかえて戻ってみると
のぼりに日本一周と書いてあるじゃあ~りませんか。
おおお、これがあれか!
ということで、ミーハーにも写真撮らせてもらっちゃいました。
で、まあ最初に書いたような事情でちょっと本文書けないでいる間に
えり~ちゃんからも目撃情報いただいちゃいましたが、
会社でも自慢してたら、やっぱり会社の子もその少し前に
小松原街道で見かけてました~。
あ、ちなみに、この写真は、小松原街道と交差するわりと新しい道で
動物園方面に続く道。
この写真はえり~ちゃんが見かけた夢庵よりだいぶ愛大よりの方です。
ちなみにmixiのコミュ、「風プロジェクト」で検索すると
この日本一周の様子がわかります。
そこではもうお昼頃、湖西でみかけたというコメントがあったので、
この道をずっと東へ行ったんでしょうね。
そのあとは・・・1号線?
これから梅雨だったり暑かったり、秋がくれば冬は寒くて、
大変な道中だと思いますが、
なにはともあれ、気をつけて、元気で達成してもらいたいものです。
15ヶ月の予定だそうなので、
その間には数え切れないくらいの人とであっていくのだろうけど、
日本全体からみたら、その中のほんの一握りの「彼とであった人」の中に入れたってことに、なんかすっごく訳もなく嬉しくなっちゃったのでありました。
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by tekuteku0220 | 2008-05-17 01:29 | ちょっと感動

さんぽ道

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16日、日曜日の朝、次女が「お母さん、今日忙しい?」
こういう時はどこそこへ乗せてってという話だな、でも昨年末に自分で貯めたお金で中古車を買って以来、自分でどこへでも行ってるのにな、と思いつつ
「忙しいということもないけど、家事とかするけど」と言うと、
かわいいカフェ連れてってあげるから、たまにはちょっとのんびりしたら、とのこと。
じゃあ、昼から使えなくなったこたつを粗大ゴミセンターに持ってくから、そのついでに行こうかってことになって、娘に道を教えられながら行ったのがここ、
豊川市となって久しい旧一宮町にある「さんぽ道」。
ほんとは娘が乗せて連れてってあげると言ってくれたのですが、
娘の車ではこたつが乗らないので、私のワゴンRちゃんで。
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およそ、ブログを開設してる人でこのお店を訪れた人は、必ず写真入りで行ってきた旨、書かねばならぬと法律で決められているわけではないのだけど、検索すると出てくる出てくるという感じです。
携帯で適当に撮った写真なのでいけませんが、他の方の撮られた芝生の青い頃のお天気の日の写真など、絵本の世界に飛びこんだようです。
あいにく芝生はこの時期ですから土色ですが、そのかわり今は菜の花畑が楽しめます。
カフェですが、実ははちみつのお店でもあって、
扉を開けるとかわいいビンに詰められたいろんな種類のはちみつだとか、
中央には大きな容器で計り売り用のはちみつがあったり、
はちみつの飴とかお菓子、ジュース、雑貨等が売られています。
その奥と2階がカフェになっていて、飲み物とケーキが楽しめます。

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日曜の昼下がり、満席のため少し待って席に。
3種類のうちシフォンケーキとプリンは終わってしまったということでチーズケーキとハーブティー(娘はローズヒップ、私はなんとかって名前のいろいろ入ったお茶)。
実は娘はチーズケーキが美味しかったからお母さんに食べさせたいと思ってたのでちょうどよかった、とのことで、
運ばれてきたケーキのお皿には、小さく菜の花が飾られてました。
ガラスのポットの中ではお湯に開いたもう一つのお花畑。
お砂糖がわりに添えられてきたのがはちみつ専用のガラス容器に入ったさらさらの上品なはちみつ。
実は先週半ば以来の風邪が思いのほかしつこくて、その日も咳・くしゃみ・頭痛・肩凝りで体調的には絶不調、私の車に乗ると必ず酔う娘も着いた頃にはちょっと気持ち悪~と、このお店にこのテンションの低さで来るのはもったいなかったねと言ってたのですが、ケーキセット出てきたらそろって調子出ちゃいました。あらら。

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そして窓から見えたのがこれ。
相談すればこうしたガーデンハウスも買えるということなのかな・・・。
うちは商店街で庭もない家なので仕方ないですが、
実家なんかは山際の田舎でどこまで庭でどこから畑かわかんないような家なので、こんな小さなハウスを畑の隅っこにでも建てたら、休みの日なんかはお茶とクッキーと本でも持って半日でも一日でも過ごすのにな~なんて話したり。
息子とじゃ絶対持てないこういう時間をすごすと
やっぱり女の子産んどいてよかったな~としみじみ。
しかも、
「今日はお母さんをたまにはのんびりさせてあげたくて誘ったんだから、私が払うよ」って、なんと娘におごってもらっちゃいました。
せっかくの気持ちだから「ありがとね~」って甘えちゃいましたよ。
お母さん、いつも大変だから・・・その言葉だけでも十分すぎるくらい嬉しいのに、
ごちになりました~。
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by tekuteku0220 | 2008-03-19 08:54 | ちょっと感動

卒業式か~

おとといかな、
公立中学校の卒業式だったんですね。
次女の高校卒業が2年前、中学はその3年前、段々遠くなっちゃいます。
私たちの頃は15日ごろだった気がします。
高校卒業してからでも30年になっちゃいましたが、
この季節になるとあの甘酸っぱいような気持ちを思い出しますね。
まるでつわりの頃聞いてたオフコースを聞くとあの酸っぱいような吐き気を思い出すように・・・
って、わたしゃパブロフの犬かい。

ここのところ卒業という言葉を聞くと思い出すのが伊藤園のお茶のペットに書かれてた俳句。
男の子だったか女の子だったか忘れちゃったけど16才くらいの子だったかな、

「三月の ちょっとせつない また明日」

なんか鼻がつ~んとしちゃいませんか?
うるうるです、私。

この句に詠まれてるのは中学の卒業式ですね、
高校生は3月1日卒業で実質2月半ばから学校来ないですもんね。
作者の年齢からしても経験したばかりの中学卒業寸前の気持ちを詠んだものだと想像に難くないですね、
あと何回友達と「また明日」って言えるのかな、そんな卒業前の3月の帰り道。
でも
私はこのせつなさに触れるとき思い出すのは、やっぱり高校を卒業した時かな。
中学から高校は学校は別れてもみんなだいたい地元だけど、
高校から先は私は社会人になっちゃったし、県外の大学に行く友達も多かったし・・・。
卒業式の日の午後は思い出に浸りながら
御津の海とか弘法山に行こうかな・・・なんて思ってたのだけど、
帰りの名鉄、普通電車に卒業証書を置き忘れ
東岡崎の駅までとりにいくはめになりました。
忘れ物係りの窓口で確認のために証書広げて学校名と名前、
大きな声で読まれちゃいました。
まあ、岡崎も、
1年の時あこがれた先輩とちょっとだけ思い出あったから
少し浸って帰ってきたけど・・・・・忘れるにことかいて卒業証書って・・・。
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by tekuteku0220 | 2008-03-08 15:47 | ちょっと感動

ちりとてちんの草若師匠

どうも書き出すとまとまりがなくていけないのですが。

私の父は亡くなって、今年の秋が来れば16年になります。
病気がわかった時には既に1ヶ月もたないと言われ、
結局入院して半月ほどで突然旅立ってしまいました。
という話は何度か書いてきましたが、
少し前、父のたった一人の妹である叔母と話していた時に、叔母が
「あんたのお父さんはしっかりした人だったから、自分が死ぬとわかったら
何かあんたやお母さんに言いたいこともあっただろうにね」
って言ったんですね。

風邪をこじらせたのかと受診したら実は当時まだ全国で十数例目という病気で
入院した途端にどんどん悪くなってしまって
とにかく免疫が落ちているので、病室に入るときは私たちもキャップをかぶって
マスクして、手も消毒してからということで、
当然本人は病室から出られませんでした。
別の病名が告げられ、本人は最後までまさか自分が死にいたる病気だなんて思いもしなかったと思います。
別れの朝、実家からの連絡でかけつけた私たちに
「みんな来てくれたのか。仕事に遅れんように行ってくれよ」
意識もしっかりして月曜の朝だということもちゃんと承知していてそう言いました。
1時間もしないうちにどんどん高熱と呼吸困難でとても苦しそうになって、
「看護婦さん、なんとかしてくれるって言ったか?」
「うん、今、熱の下がる点滴を入れてくれたから、すぐに楽になるから」
「そうか」
それが最期の私との会話。
ほんとにすぐに、楽になってしまいました。

突然区切られ残された時間の量と、輸血だけで命をつなげている状況から
やはり本人に知らせなくて良かったのだとずっと思ってきました。
家に帰るどころか病室から出ることもできない体では
知ったところで何もできない、乱れた気持ちのままで逝くことになっただろうから、と。
でも、
意識は最期までしっかりしていたんですよね。
叔母の言うとおり、言い残すことは、そりゃあ、いろいろあっただろうな。
弟子たちにありがとうと言うことのできた草若師匠を見ていると
父の終わりは父のものにしてあげなければいけなかったのではないのかという気持ちが
どうしてもわいてくるのでした。
自分だったらどうだろうと思ってみて、
やはり言うべき人にお礼を言って、
詫びたい人には謝って逝くことができたら
そこで自分の人生と死とを受け入れることができるのかもしれないなと思うものな・・・。
お父さん、
ごめんなさいね。
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by tekuteku0220 | 2008-02-16 01:46 | ちょっと感動

ベビーマッサージ~♪♪

ええと、以前書いた、私にまあこちゃんをくれたお友達。
ベビーマッサージの資格を取るべく昨年がんばっていたと思ったら、
もう本格的に動きだした模様です。
学年は1つ下だけど同じ1960年生まれ。
頑張ってるな~、えらいな~。
そしてさっき携帯にブログ開設のお知らせが届いてました。
同じexcite.ブログです。
よろしく、ご贔屓に。
えっと、リンクはったのでそこからとんでいただけばよいのかな。
左の下のほうのエキサイトブログって書いてあるとこの
「はんど愛ベビーマッサージ」
http://handoai.exblog.jp
↑ これでいけるかな。
最近やっと解析ってのを覚えたばかりの
いつまでたってもブログ初心者な私なのでした。

うちは彼女いない歴=年齢って息子と、
親元は楽だしお金かからないから30歳までここにいるって宣言してる長女、
今は「いつか一人暮らしする」って言ってるけどおねえちゃんもそう言ってて
30歳まで嫁がず宣言だから多分上へ習えの次女、
まだまだまだまだ孫にはお目にかかれそうもないですが、
いつかそのときが来たら、絶対習おうっと。
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by tekuteku0220 | 2008-02-15 12:59 | ちょっと感動
渡瀬恒彦演じる草若師匠はもう余命わずかということで、
最近は毎回、病院の枕元にいろんな登場人物が来ては
総集編のように過去の回想シーンが流れては、思い出を語ったり、
深い部分で語りあったり、思いを託したり。
いよいよ弟子の会の前日、外泊許可をもらって家に戻り、
弟子たちと食卓を囲んだ師匠は、一人一人の名前を呼んでから
ありがとうと言葉をかけてた・・・。

ドラマといえばドラマなわけで、なかなか実際にはこんなふうにいかないだろうけど、
こういう最期を見据えたある程度の時間がもてるということを思うとき、
余命を宣告される病気は悪くないなと思ってしまいます。
ここは子宮癌で検索して覗いてくださる方もいらっしゃるので、
こんなふうに書くことは知らずに誰かに苦しい思いをさせてしまうかもしれないけど。
昨年の今頃はまだ検査を進めている段階で、
はじめ子宮頚癌では予後のよくない腺癌を疑うと説明を受けていて、
そんなに急ではないにしても、ちょっと今まで予定してた人生よりは
終わりが早いかなって覚悟もしかけた頃。
もちろん相当に参ったなという感じだったけど、
まあ、悪いことばかりじゃないぞという気も・・・。
なんとか自分を納得させようとしてただけかもですが、
高血圧も指摘されたあとだったので、
先へ行って突然脳梗塞等で倒れて急に逝ってしまうとか、
もっと怖いのは命はとりとめても後遺症が残って、
誰かの手を借りなければ生きていけないことになったら・・・。
もしくはそういうこともなく年老いたとして自分がわからなくなっていくとか・・・。
こう書くことでそうなってしまった人を否定するつもりではけしてなくて、
それが自分にも周囲にもどんなに大変なことかと思うとやはり怖くてそれは避けたくて、
だからある程度年齢がいってそういうことになるよりは、
だいたい何年後と予定して自分で準備したり、
会いたい人には会って、伝えたいことは伝え、ちゃんと感謝してその時を迎えられるとしたら
それも悪くはないかなという気持ちでした。
実際闘病したらずっとそんなふうに考えられるかどうかわかりませんでしたが。


んんん、なんか話、まとまらなくなっちゃった。つづく、かな。
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by tekuteku0220 | 2008-02-15 01:33 | ちょっと感動

次女の成人式~♪

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昨日は成人の日、
今年成人の次女は13日に豊川市民文化会館で成人式の式典でした。
写真は長女が作ってあげたネイルです。
高校の時からバイトで貯めたお金で、春からの通勤のために
昨年末中古でお気に入りのオプティクラシックを買った次女。
少し足らなくてお父さんから借りたお金を早く返したいと冬休みもバイト三昧で忙しそうな妹を見て、長女曰く、
「あの子はほっといたら結局めんどくさくなって適当にマニキュア塗るか、100均の付け爪でも適当につけて済ませちゃいそうだから」
それで次女の着る着物の色、柄に合わせて作ってあげたのでした。
更に、式典の日の夜に行なわれる中学校の同窓会用のワンピをプレゼント、
それに合わせた同窓会用の付け爪も・・・。
普段は肩凝り知らずの長女がさすがに「肩凝った~」
よっしゃと私は長女の肩をもみもみ。
私は弟しかいなかったので、娘が姉妹で仲の良い様子を見るのは羨ましいしすごく幸せ。
お疲れ様、ありがとね。
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by tekuteku0220 | 2008-01-15 12:27 | ちょっと感動

悪性細網症

ひいママさん、なぜか非表示になっていてコメントに気づくのが遅くなってしまいすみませんでした。

悪性細網症
というのが、15年前に亡くなった父の病名でした。
父が亡くなった直後、お世話になったお医者さまから請われて
その後の研究のために父の内臓を提供しました。
明け方亡くなった、その日の夜がお通夜で翌日が告別式。
一夜寄り添った棺に納められた父の中にはどの程度の臓器が残されてたのか知りません。
昔、父が釣ってきたハゼの腹をかいて水に戻したら、
まだ生きているかのように泳ぎだしてびっくりしたことを強烈に覚えていますが、
さすがに父は2度と動きはしませんでしたね。あたりまえですが。
傷をつけた遺体を私たちが見なくてすむようにという配慮なのか、
父は湯灌をすませた状態で、私たちのところへ戻ってきました。
戸惑い泣く母を私と弟で納得させての提供でした。
あれだけで急激に研究が進むとはもちろん思いませんが、
あれから15年たって、何か分かったことがあるのだろうかとふと気になって
ネットで検索していてたどり着いた秋田の病院の先生に、
失礼を省みずメールをして、
今は時間的に無理だがいつか必ず返事をするとのメールをいただいたことは
10月30日のこのブログに書いた通りです。

そして昨年暮れの31日。
慌しくすごす大晦日の夜、ふとメールをチェックしてみると
件名の中にこの病名が、そして見覚えのある男性の名前。
気を落ち着かせながらそれより少し早く届いた友達からのメールを読み、
いよいよどきどきしながら本文を開けてみました。
「悪性細網症についてお約束しておりましたのでお送りします。
 一言で申せば一般の方々にお解り頂くのに一番困難な領域の疾患であり、症状を現すメカニズムや背景も複雑です。 出来るだけ平易に記述したつもりですが、それでも多分理解しがたい部分が少なくないと思われます。 どちらにせよ、成人型のこの疾患は診断困難で、生命予後も悪く、特別に効果的な治療法もありません。造血器疾患領域の中でも対応困難な病気と言えます。
 これをお読みになって更に追加、詳細な説明が必要でしたらご返信下さい。可能な限り対応したいと考えます。」
という書き出して、そのあと非常に詳しく、総論から診断と分類、治療方法といったことに分けて書かれていました。が、これで出来るだけ平易に記述されていなかったらどんな文章になっていたんだろうかと思うくらい、やはり素人にはすっと入ってこない専門的と思われる言葉や言い回しが多かったです。

で、ぼんやりと理解したところでは、
最初のメッセージに要約されている通りに、やはり成人で発症した場合は診断も難しく、予後も不良、原因も治療法もよくわかってないという、
つまりは15年前とあまりかわっていない、もちろん細かな研究は進んでいるでしょうが、
患者の立場の助かるの?助からないの?という素朴な不安への答えとしては
やはりまだどうやって助けていいかわからないんだよっていう答えだったわけです。
ただ、ちょっと文章から理解したところでは、先天的なものは小児の場合で、
成人の場合は感染症とか悪性腫瘍に関連して起こるものが多いようだということ。
患者の子供の立場としては、やっぱり遺伝するの?私や弟も普通の人よりは
その病気に近いところにいるの?という不安。
今回いただいた説明からすると、成人である父は先天性ではなく、感染か腫瘍が原因だったと考えるのが妥当だと思うので、
私たち姉弟、体質などは受け継いでいるとしても、あの病気を引き継ぎ隠し持って生きているわけではなさそうだということ。
その不安から少し解放されただけでも、本当にこの秋田のお医者様には感謝です。
そして、
もしあの時でなく15年後の更に進んだ世の中になった今、発症していても
やはり父を助ける手立てはなかったのだと思うと、
今の時代なら助かったのに・・・という空しい妄想からも解放された気がします。
事故や事件といった不幸に見舞われたわけでなく、
まだ59歳という年齢はやはり納得のいくものではありませんが、
仕方がなかったと思うことのできない死ではなかったと・・。
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by tekuteku0220 | 2008-01-04 16:35 | ちょっと感動